NEO・Pの小屋 廃線・廃車体巡り

浜離宮前踏切


2004年4月24日

毎日通勤で通る道にあるのは見てました。
なんにもないのに踏切の警報機があります。
浜離宮恩賜庭園に行くのに駐車場から歩いているときに通ったので写真に撮ってみた。
看板がすべてを物語っています。

                  保存理由
 元この高速道路の下には汐留川が流れ、鉄橋も架っていました。
 汐留駅は、我が国の鉄道開業当時における始発駅でしたが、大正3年(1914)東京駅が中央駅になると、ここは貨物駅になりました。大震災後、築地に東京市中央卸売市場が完成すると、汐留駅と市場間に貨物運搬のための線路がしかれ、大きな働きをしたのです。
 都民の暮しの台所を支えて来たこの信号機を、国鉄廃止に当たり捨て去られるのにもしのびず、東京都中央卸売場築地市場、東京都第一建設事務所並びに中央区教育委員会、地元各位の多大な御協力に依り、ここに永久保存されることになりました。
          昭和62年(1987)12月
                                 銀座御門通り会
                                 銀座金春通り会
               浜離宮前踏切 説明
                     所在地 中央区銀座八丁目21番1号先
 この信号機は、昭和6年(1931)から昭和62年(1987)1月31日までの56年間、国鉄汐留駅と東京都中央卸売市場築地市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されました。
 最盛時には、1日150両に達する貨物車が通過しましたが、貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止とともに引込線も撤去されることになりました。しかしながら、地元民の要望により、銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、保存されることになりました。
                    昭和62年(1987)12月

汐留の駅からぐるっと円を描いて築地方面へ向きを変えてこの場所を通って市場まで線路が走っていたのが、道路地図を見ただけでもよくわかります。航空写真にするともっとよくわかりますが、カレッタ汐留あたりはまったく線路の面影などないけどこの地点から新大橋通りを突っ切って市場に線路が引き込まれていたらしく、建物が弧を描いているのはその名残なようです。
ずっとこの警報機と、それに続く線路跡の道路だけ見ていたんですが、ふと気がついたら首都高速の高架下に、その道と連続した明らかな線路跡がありました。しかもなにかの箱付きでw(←画像)。フェンスで囲まれているのと、いい交通量なので近寄って見るのはなかなかしんどいかもしれません。
ここと同じようなのが、浜松町から竹芝桟橋>日の出桟橋>芝浦のレインボーブリッジあたりまで、ちょうどゆりかもめがなぞっていますが、引き込み線の跡があります(→日の出桟橋付近)。
芝浦あたりは昭和30年代引き込み線だらけだったぽいので、いろいろ見つかるかもしれませんよ。都電の工場もあったらしいじゃないですか。
土日休日は閑散としているので、散策しやすいかと思いますよ。<2008年9月追記>

汐留駅があった頃



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